Column

時の図書館

Vol.02

ダ・ヴィンチの手稿

渦巻文様。それは自然界の中にも、人工物の中にもある。渦巻文様は、私たちのイマジネーションを時の流れの中に誘(いざな)う。縄文の火焔土器やケルトの民が残した渦巻は、過去の時間へ。今まさに広がろうとする植物のつるや回転する銀河系の渦は、未来の時間へ。
私の黒いカンパノラの文字板の上にもあざやかな渦巻文様がある。これは、パーペチュアルカレンダーの28年周期の同心円が作り出す時のかたち。7つの曜日と4年に一回のうるう年の最小公倍数が28であり、そこに節目となる年数を記入すると、その点々が銀河の中心から吹き出す星屑のように美しく渦巻状に広がる。これを見つめていると、私の思いは過去にさかのぼったり、未来にたゆたったりする。渦巻文様が、過去への時間にも、未来への時間にも見えるのは、それが常にらせん運動を表しているからだ。らせんが周回しながら徐々に広がれば、時は未来の方向へ、らせんが少しずつ内側に収束していけば、時は過去の方向へ、私たちを連れて行ってくれる。それだけではない。らせん運動が、平面にとどまることなく、少しでも上向きに広がれば、私たちは上昇気流に乗れる。逆に、下向きに降りていけば、それは無限の深みに潜る。

文化史上、渦巻文様が絶えず文物の意匠として描き続かれてきたのも、自由自在に時空を移動することができればどんなにすばらしいだろう、という人間の夢と希求が託されてきたからだ。この夢と希求を、その全生涯にわたっていだきつづけ、わずかな水を求めてさまよう渇ききった漂流者のごとき切実さで追究した知の巨人がいる。誰あろう、かのレオナルド・ダ・ヴィンチその人である。

15世紀後半から華ひらいたルネサンス期を代表する芸術家ダ・ヴィンチ。歴史は彼をして、万能の天才の名をほしいままに称揚するが、その実像は違っていた。彼は、焦燥と孤独と渇望の中を生き、請け負った作品を完成できないことへの慚愧に常に苛まれ、一方で、自分の才能が十二分に評価されないことへの不全感に絶えず身悶えしていた。その証拠に、ダ・ヴィンチがその67年の生涯のうちに成し遂げた作品の数は驚くほど少ない。有名な「最後の晩餐」や「モナ・リザ」をはじめ、「岩窟の聖母」や「荒野の聖ヒエロニムス」のように下書きの部分を残した未完成作品も含めて、全部で十数点しかない。43歳でこの世を去った寡作のヨハネス・フェルメール37作品と比べても少ない。この数の少なさは、ダ・ヴィンチの奇妙な心理構造の現れなのだ。ダ・ヴィンチは強迫的なほどの完璧主義を貫き、その結果、どんな作品も「完成」できなかった。「モナ・リザ」さえ、最後まで手元におき、筆を加えていたという。一方で、ダ・ヴィンチは飽きっぽく、移り気で、自分を認めてくれる守護者を求めて、フィレンツェからミラノへ、ミラノからヴェネツィアへ、さらにはイタリア諸国を放浪して、最後はフランスに行き着いた。

片や、ダ・ヴィンチは、コーデックス(手稿)と呼ばれる膨大なメモを残した。現存するものだけで約5000ページ。夥しい数の記録。実際はこの三倍はあったとされる。このメモは公開を予定したものではなく、純粋にダ・ヴィンチ個人の記録、着想、感慨などが記された。それゆえに、コーデックスにこそダ・ヴィンチ自身の真実が示されているともいえる。この手稿は、現在、いくつかの分冊となって、世界中の名だたる美術館・研究施設等に所蔵されている。アトランティコ手稿(ミラノ・アンブロジアーナ図書館蔵)、パリ手稿(フランス学士院蔵)、ウィンザー手稿(英国王立コレクション蔵)、レスター手稿(ビル・ゲイツ蔵)などである。
コーデックスはいわば、ダ・ヴィンチの手帳もしくはスケッチブックのようなもの。多くは、一枚の紙の両面にスケッチが描かれていたり、文字が記述されている。それゆえ、手稿は、ページ数とともに表面(R)と裏面(V)の表記で示される。文字は独特の反転文字(鏡文字)で記される。

手稿にはこんな一節がある。
「わたしに言ってみよ。自分はこれまでに□□を達成するために何かをなしたことがあるのかどうか……。わたしに言ってみよ。自分に□□をもたらすようなことを、かつて自分がしたことがあるのかどうか……」
これはダ・ヴィンチが、ペンの試し書きをする際に、思わず本音を吐露してしまった箇所だとされている。欠落した□□の部分に入る言葉は、「栄誉」あるいは「名声」であったに違いないと。
これが彼、レオナルドの偽らざる胸のうちだった。心の奥底に隠されていた彼の呟きは泡のようにふと浮かび上がり、知らず知らずに指先を動かしたのだ。それほどまでに彼はいつも渇いていた。それほどまでに彼は常に求めていた。

一方、ダ・ヴィンチは、生涯にわたって飛行・飛翔の研究に打ち込んでいた。翼を持つ生物たち。鳥、トビウオ、コウモリ、トンボ、そして蝶を研究し、その姿をスケッチした。特に、鳥の飛翔に関する研究は、一冊の手稿となっている(トリノ王立図書館蔵)。翼の形状や空気抵抗、風や気流の空気力学など詳細な考察が記されている。これが後に人間の筋肉の解剖の研究にもつながった。

飛翔の研究は、飛行機械の考案にも発展した。それは、パリ手稿に見られるヘリコプター原型の設計図である。らせん状の帆をもつ装置だ。図のそばには解説文が記されている。「太い針金で縁どりした半径約5mの布製のらせん型プロペラを軸に取り付ける。軸は薄い鉄板で作り、鉄板を捻じ曲げると、元に戻ろうとする力でプロペラが回る」。ダ・ヴィンチはこの原理を”空圧ネジ”と呼んでいる。一種のゼンマイ動力のようなものを想定していたのだろう。もちろん当時は帆を作る軽くて丈夫な素材や、十分な推進力を発生させるような持続的な回転動力装置も作れなかったから、実際にこのようなヘリコプター装置を実現することはできなかった。しかし、おそらくダ・ヴィンチは、軽い紙などを使って、旋回する渦巻型の模型に軸を付け、それを手で強く回転させると上向きの揚力が発生する実験までは成し遂げていたのではないか。ダ・ヴィンチはどうしても空を飛びたかったのだ。

なぜ、彼はそれほどまでに空にあこがれていたのだろうか。「時の図書館」ゆえ、自由な夢想の飛翔を許してほしい。ダ・ヴィンチは、フィレンツェ・メディチ家に仕える優秀な会計士セル・ピエロの私生児として生まれ、幼くして生母から引き離されて、近郊のヴィンチ村で世間の目からも隠されて育った。私生児は経済的にも社会的にも差別の対象だった。十分な学歴も得られなかった。田舎の自然の中で育ったから、類稀なる自然観察者になったのではない。都会的なセンスと繊細さを併せ持つ少年が、田舎の差別の中で息を潜めるように育ったがゆえに、内向的で孤独な自意識と冷めた観察眼を研ぎ澄ませたのだ。学歴がないことへのコンプレックスが、彼の反抗心のバネを強化したのだ。一方、最愛の母との離別は彼をして独自の性向に進ませた。同性愛への指向である。「洗礼者ヨハネ」に見る、たおやかで官能的な中性性、そして「モナ・リザ」の中に潜む無限の母性は、ダ・ヴィンチの心象の如実な表現なのだ。

とすれば飛翔への希求も自ずと理解できるのではないだろうか。イモムシはある日、急に固まって蛹となり、そこから優美な翅を持った輝ける蝶がまろび出ずるように、彼もまた変身し、变化(へんげ)し、一切の桎梏(しっこく)を振り切って、自由な空へ抜け出したかったのだ。

みなさんも機会あらば、ぜひ一度、ダ・ヴィンチの手稿をご自分の目で確かめてほしい。驚くほど精密に描かれたスケッチや整った文字列の行間に、彼の密かな息遣いを感じ取ることができるはずだ。

ダ・ヴィンチの手稿

書名
パリ手稿(邦訳版)
著者
レオナルド・ダ・ヴィンチ
出版社
岩波書店
価格
600,000円+税

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